旅解説 九州・沖縄編


1990年8月 初めての沖縄・八重山諸島への旅

社員旅行では、行ったことがある沖縄。しかし、その時は本島のみで八重山諸島まで来たのは今回が初めてでした。那覇空港で乗り継いで石垣島へ、離島桟橋から西表島へ向かう。いるもて荘YHに宿泊するが、ほとんどがダイビング客。退屈かと思ったけどダイビングは小休止という人がいて、翌日は一緒に島内観光をすることになる。浦内川に向かう途中に鍾乳洞があるということで4人で探検に行く。4人で懐中電灯2個のとても心細い探検で、真っ暗な中少し恐怖を覚える。コウモリの糞も臭かったけど観音様に似た鍾乳石を見ることができて少し得した気分になる。その後、浦内川を遡りカンピレの滝やマリュドゥの滝を見に行って、いるもて荘YHに連泊する。
 翌日は早い便で石垣島へ渡り、波照間島行きの高速船を待つ間に竹富島へ渡り自転車を借り島内を観光する。その後、波照間島に渡り宿泊先の民宿の送迎バスで宿へ行く。予約の際、部屋が満室で宿泊が出来ないと言われたのですが、他の民宿も泊まれなかったので無理に頼むと、相部屋で良かったらと言われ、YHを経験しているので相部屋は気にならないので即予約を入れていたので男性一人旅の人と相部屋になる。到着の日は荷物を置いて自転車を借りて(この頃は無料)島内の景色の写真を撮ってまわる。夕食の時間と日没の時間が重なり、民宿の屋上にカメラを三脚に固定し、準備をして食堂と屋上を数回往復しながら夕食を食べる。夕日の写真も撮ることが出来安心して眠るも、暑いのと、隣が暴れていてうるさいのでなかなか眠れず。
翌日は、この旅で初めて海に入り泳ぐ。せっかくの沖縄だからと、思い切り肌を焼こうと夕方の船の時間まで泳いだり、砂浜に寝転んで焼いたりして過ごす。西浜ビーチと言うところで泳いだのですが、ほとんど人は居なくてプライベートビーチの気分でした。後で知ったことですが、地元の人は日中は暑いので泳がず、朝夕の日差しが弱いときに泳いでいたそうです。夕方の便で石垣島に渡り八洲旅館YHに泊まる。
 最終日は、帰るだけなので荷物を整理して空港へ向かう。荷物を受付で預けて飛行機に搭乗しようと飛行機に向かうと、飛行機の荷物室の近くに僕の荷物らしきものが置かれているのを見て、疑問に思いながら飛行機に乗り込む。那覇空港で乗り継ぎの際に放送で呼び出されてカウンターに行くと、僕の荷物が那覇で間違って下ろされたとのことで、カウンターで荷物を渡されて次の飛行機に搭乗の際に再び荷物を預ける事になる。抗議はしたものの結局は自分で運ぶことになる。この頃のA*AやA*Kはサービスが悪かった。前日の肌を焼いたことで背中が重度のやけど状態なのでリュックを背負うことも出来ず、手に下げて帰ることになる。この後、ひと月ほど背中のやけどに悩まされることになる。
旅履歴へ
写真へ戻る


1993年7月 二度目の沖縄・八重山諸島への旅

1990年に沖縄から帰った後友達と話をしていたら、なんと1週間ずれでほとんど同じ場所を回っていたことがわかり、次回沖縄に行く時は一緒に行こうと約束をしていたので今回は友達と行くことになる。
 那覇空港か石垣空港かは忘れたけど友達と合流。石垣島離島桟橋に行き、黒島へ渡る船を待つ間に波照間島での宿泊先を決める。波照間島で人気の民宿「たましろ」に電話するも満室とのことで断られるも、何とか頼み込み相部屋で泊まられることになる。黒島に渡るとすぐにシュノーケリング3点セットを借りて民宿近くの仲本海岸に行きシュノーケリングを楽しむ。翌日は民宿の船で無人島のパナリ島(新城島:あらぐすくじま)に渡してもらい一日泳いで遊ぶ。泳ぐ前に小さな鮫を5匹くらい見かけるも、しばらくするといなくなったので少し不安を覚えながらも泳ぐ。黒島の民宿で波照間島以降の行き先宿泊先を話し合うも意見がまとまらず、波照間島以降は別行動となる。
翌日は、島内散策の後黒島から離島桟橋に戻り、波照間島行きの船を待つ間に波照間島以降の予約を取る。友達は竹富島や石垣島を回ると言うことで、別に予約などは必要ないとのことで、僕の与那国島行きの予約をすることにする。離島桟橋の旅行会社に入り、飛行機のチケットを頼む。帰りの便には空席があるも、行きの便には無いとのことで、日程を変更しようとカウンターで検討していると、今ご希望の日の便に空席が一席空きましたがと言う言葉に、すぐに予約を御願いして行き帰りの便の確保が出来る。民宿は、備考欄にレンタバイクありますの一言でそこに決めて連絡を入れると民宿の方は1回で予約が取れる。
 波照間島では連泊をして思い切り西浜ビーチで泳ぐ。夕食は噂通りの沢山の量で結局は食べ切れませんでした。食後は、テーブルで民宿の宿泊者と一緒に幻の泡盛「泡波」を飲みながら話にふけり夜遅くまで騒ぐ。朝食も半端な量ではなく、誰がこれだけ食うかぁと言いたくなるような量でこれまた食べ切れませんでした。朝食の時に昼の弁当(おにぎり)を作っても良いとのことで、朝食の残りのおかずを利用して昼の弁当を作って遊びに出掛ける。二晩とも同じメンバーだったので楽しく過ごすことが出来ました。
 波照間島からは別行動なので、与那国島へ渡る飛行機に間に合わないと困るので、波照間島からは飛行機で石垣島へ渡ることにしていたので、記念撮影(@)の後民宿で友達と別れて波照間島の飛行場へ行き石垣島へ渡る。よく考えるとわざわざ波照間島から飛行機で戻らなくても船でもゆっくり間に合っていたのです。時間が余ったので離島桟橋まで友達と民宿で一緒だった人たちを出迎えに行って顔を合わせて再び空港に戻り与那国島へ渡る。
与那国空港に着くと沢山の民宿が宿泊客を迎えに来ていたので、自分が泊まる民宿を探すも見つからずに、民宿に電話を入れるとタクシー代は民宿で払いますのでタクシーで来てくださいと言われタクシーで民宿に向かう。民宿はおばあちゃんが一人でやっている小さな民宿でした。到着後荷物を整理して日本最西端の西崎(A)へ歩いて向かい、夕日の写真(B)を撮る。太陽が沈んでから民宿に帰ったので食事時間に間に合わず、一人だけの食事となる。おばあちゃんと少し話し、レンタバイクを頼んで自分の部屋に戻る。
 翌日はレンタバイクで島内を見て回りながら写真を撮る。この日も夕方には西崎に行って夕日の写真を撮る。レンタバイクだったので民宿に帰り着くのが早く、他の宿泊者と一緒に食事をする。その宿泊者はさっき西崎で挨拶を交わした女の子の二人連れでした。食事の後、部屋で女の子たちと話をしていると、おばあちゃんから声がかかり何事かと思うと、女の子たちはそのおばあちゃんに近くのお店から台所用洗剤を買ってくるように頼まれていました。
 翌日は福岡へ帰る日。昼過ぎの飛行機の時間まで西崎でのんびりと風景を眺めるつもりも、おなかが空いたので、久部良にある「ゆきさんち」向かう。途中久部良港でカジキマグロの水揚げをやっていて計量をしているのを見学する。122Kgや180Kgくらいあるカジキマグロを見ることが出来る。つり下げてあるカジキマグロ(C)は180Kgくらいあったと思う。横に立って記念撮影をするも、現在はその写真は行方不明になっているのです。港から「ゆきさんち」に向かう途中、見たことがある人が前から歩いてくるので、誰かなと思っていると、それは与那国島へは行かないと言っていた友達だったのです。僕が与那国島へ行った後、本人も行きたくなって渡ってきたと言うことでした。「ゆきさんち」でしばらく話をして、僕は空港へ向かい2度飛行機を乗り継ぎ福岡へ帰る。

旅履歴へ写真へ戻る



1994年7月 三度目の沖縄・八重山諸島への旅

 三度目の八重山諸島の旅。初日は、那覇空港で東京から来る友達と合流して石垣島へ。離島桟橋から黒島へ渡る。去年泊まった民宿は残念ながら満室で近くの民宿に宿泊をする。荷物を民宿に預けて仲本海岸にシュノーケリングに行く。途中で大きなヤドカリ(@)を見かける。その後、夕食を食べてのんびりしていると、民宿のお母さんがウミガメの放流を見に行かないかと誘われる。トラックの荷台に近所の子供たちと一緒に乗せられて海岸へ、そしてみんなに一匹ずつ渡されて合図とともに放流をする。話を聞けば、ウミガメが海岸に産卵をすると、卵を少し持ち帰り人工孵化をして海岸での孵化の予測をしているとのこと、今回はその人工孵化のウミガメの放流でした。写真(A)を撮り放流をする。
 2日目は、民宿から仲本海岸・島の中心の集落・港・西の浜(B)と写真を撮りながら歩き民宿へ戻る。3日目のスケジュール上黒島に連泊は出来ないので石垣島へ渡りYHに泊まる。
 3日目は、鳩間島へ渡るので離島桟橋へ行きチケットを買う。この時に帰りの便をチェックすると船がドッグ入りのため運休と言うことを知る。しかし何とかなるだろうと取りあえず渡ることにする。鳩間島(C)に着くと宿泊客が3組、二部屋しかない民宿なのでダブルブッキングとなってしまう。足りない部屋は民宿のプライベートルームを使うことになり問題は解決する。民宿は部屋の間仕切りはふすま一枚で廊下側はふすまなし。そして廊下と外の戸がないので外から部屋が丸見えの状態でした。鳩間島は小さな島で雑貨屋が1軒ありいつも開いている訳でもないので1泊3食付きでした。荷物を置いて島内散策をするも30分くらいで見て回ってしまい何もする事がなくなる。この日の昼食は八重山そばでコーンビーフ入りでした。食事の後近くの浜にシュノーケリングに行く。夕食ではご飯が足りなくなるというハプニングが起こる。この時のおかずにもコーンビーフが出ていて、この宿を出るまで全部の食事にこのコーンビーフが付いていました。宿泊客が持ってきた泡盛を飲みながら夜遅くまでみんなで話をする。夜遅く外でバサバサと何か羽ばたく音が聞こえ、なんだろうと外に出てみると羽を広げると2メートルもありそうなオオコウモリが飛んでいました。あわててカメラを持ってきて写真(D)を撮る。
 4日目は終日海岸でシュノーケリングをする。途中、巡視船からゴムボートで人がやって来て、この辺りで怪しい人や怪しい船を見なかったかと聞かれる。なんでも、鳩間島近海では麻薬の受け渡しが行われているそうで、外国から運んできた麻薬を鳩間島近海の浅瀬に沈めてそれを回収をするという手口が行われているというい事でした。帰りの船の事を民宿のお父さんに相談すると、郵便船が1日1往復しているのでそれに乗れるとの事、時間を聞くと午後からだそうで5日目の与那国島行きの飛行機に間に合わないので別の方法を聞く。島に1軒だけの雑貨屋で船を出してくれるとの事だったのでシュノーケリングの合間に頼みに行き予約をする。この日の夜も泡盛で遅くまで話をする。
 5日目は午前中にチャーター便で西表島に渡り船を乗り継いで石垣島へ行く。空港から与那国島へ飛び、タクシーで昨年泊まった民宿へ行く。この日は移動日となり、西崎に夕日の写真を撮りに行っただけで1日が終わり民宿でのんびりする。
 6日目は、レンタカーを借りに久部良から路線バス(100円)で祖内まで行く。車で与那国島を写真を撮りながらまわり観光をする。祖内で車を返してバスで久部良に戻り西崎に夕日の写真を撮りに歩いて行く。日没までは時間があったので、友達に絵はがきを書いたり、本を読んだりして時間を過ごす。数枚写真(F)を撮り民宿に戻り食事をしてのんびりする。
 7日目、飛行機の時間まで久部良の集落を散策する。港ではカジキマグロの競り(G)を見学して、もう少し時間があったので西崎へ行き出発の時間までのんびりする。飛行機で石垣島まで戻り離島桟橋から波照間島へ渡る。波照間島到着が夕方だったので、民宿に到着後はどこにも行かず部屋でのんびりとする。夕食の時間になったので、噂の夕食の写真を撮るためにカメラを持って外のテーブルに行く。食事が出てきたので写真(H)を撮り食事を始める。結局食べきれず残してしまう。食事の後は幻の泡盛「泡波」で宴会(I)をする。途中でこの島に出来た天文台に星空を見に行く。プラネタリユウムを見て、屋上に出て実際の星座を案内人が懐中電灯で星を指して教えてくれるのです。しばらく勉強をした後、望遠鏡を使って、土星の輪や木星・金星・月などを見せてくれるのです。波照間島は日本では有数の星が沢山見える場所だと言うことで沢山の星を見ることが出来る。1月から6月までは南十字星も見えるとか・・・。2時間くらい星空を眺めて民宿の送迎バスで民宿に戻る。途中すごくでかい椰子がにを発見、宿のお父さんが捕まえて民宿に持ち帰る。とても美味しいとの事でしたが僕たちの口に入ることはありませんでした。民宿に戻った後は再び泡波で宴会の続きをする。
 8日目は、朝食のおかずの余りでおにぎり弁当を作り、西浜ビーチ(J)に泳ぎに行く。シュノーケリングをしてお昼になったので民宿にお戻りシャワーを浴びて弁当を食べて休憩をする。その後、浜シタン群落(K)に行きシュノーケリングをする。珊瑚礁が多く色んな魚を見ることが出来写真(L)を撮る。小さな砂浜が珊瑚の間に沢山あり、プライベートビーチみたいな雰囲気を味わえる場所でした。この夜は曇り空のため天文台には行かず、ずっと宴会をして過ごす。
 9日目は夕方の船の時間まで民宿の自転車を借りて島内の観光をする。日本最南端の碑や日本最南端の郵便局や日本最南端の交番(M)や日本最南端の集落などを写真を撮りながらまわる。高速船で石垣島に渡り離島桟橋の近くで夕食を済ませ飛行機で那覇まで戻りYHに泊まりこの旅最後の夜を過ごす。
 10日目(最終日)は、夕方まで国際通りを散策しておみやげを買い、飛行機で福岡へ帰る。
旅履歴へ写真へ戻る

1996年7月 四度目の沖縄・八重山諸島への旅
大型台風に遭遇する

四度目の八重山諸島。三度目と同じように那覇空港で東京の友達と合流する。そして今回は石垣島を経由して直接与那国島へ渡る。この旅から友達が与那国島で常宿にしていた民宿に泊まることにする。空港まで迎えが来ていて、軽自動車に乗り久部良の集落にある民宿へ行く。チェックインの後、「ゆきさんち」に行きジュースの飲みながら雑誌を読んだり、ゆきさんと話をしたりして民宿の夕食の時間まで過ごす。午後6時30分過ぎに民宿で夕食を食べる。ここの民宿ではアルバイトの女の子が民宿の一切をやっているようで、夕食も女の子たちが作っていました。この夜泊まった部屋はコインクーラーが壊れていてぐっすり眠れず。
 2日目は、朝食の後西崎まで歩いて行き、午前中は本を読んだり友達に絵はがきを書いたりして過ごす。午後からバスで祖内集落まで行き散策をする。祖内集落の近くにあるティンダバナに登り上から祖内集落を見たり、町鳥であるメジロの写真を撮ったりする。今朝のニュースで台風9号が接近中とのことで、早めに与那国島を離れようと思い空港に寄るために祖内から久部良まで歩いて帰る。空港で、翌日の空席情報を聞くと満席とのこと台風が来る前に帰ることが出来なくなる。欠航した場合のキャンセル待ちの方法などを聞き民宿へ。夕方から西崎へ行き夕日の写真を撮る。
 3日目は、帰ることが出来なくなったので諦めてレンタカーを借りて島内を写真を撮りながらドライブをする。西崎→南牧場→カタブル浜→比川→立神岩→サンニヌ台(軍艦岩)→東崎→ティンダバナ→クブラバリ→民宿と回る。台風9号が接近中とのことで与那国島の周りの海はかなり荒れていて高い波が押し寄せていました。予報では今夜夜半には与那国島が25m以上の暴風域に入るとのことでいよいよ帰れなくなる。
 4日目は、朝一番で空港に運行状況を確かめると欠航とのことで、キャンセル待ちの整理番号を取りに行こうとするが、路線バスも運休とのことで移動手段がなくなり困っていると、同宿の大学生がバイクを貸してくれるとのことなのでバイクで空港へ行く。整理番号20番・21番をもらって民宿へ戻る。帰る途中から雨が降り出し民宿に着く頃にはびしょびしょになる。民宿では昼食がないので近くのお店に買い出しに行き台風襲来に備える。予報では夕方頃台風9号は与那国島付近を通るとのこと、大型台風の接近に緊張する。民宿でも台風養生が始まり、植木鉢を玄関に入れたりと作業を手伝う。次第に風雨が強くなり台風の接近を感じる。沖縄での台風は初めての体験、風に吹かれている木々は起きあがることなく90度近くまで曲がり、時には折れてしまうという猛烈な風が常時吹いていました。夕方頃すごい音とともに風が吹き抜けて行ったのですが、この時の風が一番強かったようで最大瞬間風速68.7メートルの風だったそうです。その後も風雨はおさまらず夜には停電となりテレビも見ることが出来ないので、民宿のアルバイトの女の子や宿泊客とお酒を飲みながら話をしたりトランプをしたりしながら台風が過ぎるのを待つ。深夜1時過ぎに電気が回復してテレビを見ることが出来、台風情報を見ると台風はすでに与那国島を通過して離れつつあるとの事で安心してみんな眠りにつく。
 5日目は、台風は通過したが余波が残りまだ風が強く飛行機は欠航。帰ることが出来ないので民宿でのんびりする。みんなで台風通過記念で民宿の前で記念撮影(@)をする。民宿の宿泊客と西崎に行き海を眺めたり記念撮影(A)をしたりして過ごす。午後からは民宿のアルバイトの女の子を含めて午前中のメンバーでクブラバリ(B)へ行く。夕食後暗くなってクブラバリのメンバーで西崎へナイトツアーと称し歩いて行き記念撮影(C)などをして過ごす。
 6日目、朝から飛行機は通常運行とのことなので乗れるかどうかは分からないけど準備をして空港へ向かう。午前中の便には乗れなかったけど午後の便に何とか乗ることが出来る。整理番号22番まで本当にぎりぎりでした。みんなに見送られて与那国島を脱出。次の目的地の波照間島へ。渡る途中の高速船は波が高かったのでまるでジェットコースターのように上がったり下がったりでとても怖かった。スクリューが空回りしたりしていました。通常よりも30分以上遅れて波照間島到着。その後民宿に入りのんびりする。
 7日目は、終日波照間島で泳いだり写真を撮りまわったりする。海の中は台風が通過した影響で海中の砂や珊瑚の死骸などが巻き上げられて透明度が非常に悪かったです。夜は天文台に星空の見学に行き、民宿で酒盛りをして一日が終わる。
 最終日、午前中の高速船で石垣島へ渡る。飛行機の時間までレンタカーを借りて石垣島をドライブする。映画の舞台になった白保の海(D)に行き写真を撮り友達に絵はがきを書いたりする。夕方の便で那覇空港乗り継ぎで自宅へ帰る。台風で日程は狂ったけれど、旅の始めだったのでうまく調整することが出来て休みを延長することはありませんでした。

旅履歴へ写真へ戻る



1997年8月 五度目の沖縄・八重山諸島への旅
二年連続で大型台風に遭遇する


文章は準備中なのでもう暫く待ってください。

旅履歴へ写真へ戻る



1997年5月 世界自然遺産屋久島への旅

九州最高峰宮之浦岳への登山。山小屋2泊、前後に各1泊ずつの4泊5日の予定が、本格的な装備での登山が初めてだったために途中で疲れてしまい、山小屋を1泊に変更して下山をして民宿を3泊とする。下界での天候に恵まれたのですが、宮之浦岳山頂では残念な結果となる。
旅履歴へ写真へ戻る


表紙へページ先頭へ




































inserted by FC2 system